「しあわせ」を見つける

雲はありますが晴れたいい天気です。

昨日は被災した輪島の中学生が集団避難したというニュースがありました。

まだ中学生です。親元を離れて過ごすのは不安でしょう。

親も心配が絶えないかなと思いをめぐらせていました。

家族のところへ帰る日が近いことを祈ります。

 

私は20代のころは「しあわせ」について考えたことはありませんでした。

なんとなく「しあわせ」はまわりから与えられるような受け身だった気がします。

ですから当然「しあわせ」と思うことはありませんでした。

どこかで「パートナーがしあわせにしてくれる」という甘い感覚があったのかもしれません。

でもその頃は何が自分のしあわせか、わかっていませんでした。

 

自分にとってどういうことが「しあわせ」なのかということを何も考えたことはありませんでした。

今は1日の時々で「ああ、しあわせ」と思います。

家のビオラがきれいに咲いた「ああ、しあわせ」

公園を散歩して「ああ、しあわせ」

夕飯がおいしい、「ああ、しあわせ」

家族と話ができて「ああ、しあわせ」

ささいなことばかりですが「ああ、しあわせ」と嬉しくなります。

 

 

「しあわせ」は与えられるものではなくて見つけるものですね。

「しあわせ」と思えることが増えると体もこころも柔らかくなる気がします。

こころが硬くなってしまうと、人の話を受け入れられなくなったり人を非難してしまったりします。

こころが柔らかければ人の話も聞くことができますし、人の良いところも目に入りやすくなり、嬉しいことも増えます。

 

自分の「しあわせ」、見つけてください。